04.愛文-aibumi-
この曲が生まれてきた経緯。
それは、現在テレビ岩手制作「交通安全キャンペーンCM」にこの曲を起用して頂いていている(臼井本人も出演している)ことにも繋がるのだが、
YouTubeなどからもこのCMをご覧いただけるので耳にしてくれた方も多いかと思う。
同CMには2010年からずっと臼井嗣人の曲を起用して頂いていて、「グッドラックイエスタデー」「春紫苑」「花吹雪」などその他沢山の楽曲を
使用して頂いている。
ただ、「愛文-aibumi-」以前に使用して貰っていた楽曲は、既にリリースされている楽曲に対してCMへのオファーを頂いていた。
そんな中、今回のアルバム【VERSUS】の構想を練る中でリード曲をどんな曲にするかと思い悩んだとき、
ずっと臼井嗣人の曲を使用してくれている「交通安全キャンペーンCM」で、「こんな曲を使って欲しい!」と
の思いから「愛文-aibumi-」という楽曲は生まれた。
要するに、先にCM有りきで生まれてきたということだ。
更に言うとあのCMでこの曲が流れることを前提に勝手に想いを膨らませて書いた曲でもある。
なんとも図々しい話だ(笑
しかしそれも全て、それまでの同CMがどれもが素晴らしく、
僕自身がこのCMを制作しているディレクター中野氏の作品のファンだというところから始まっている。
結果としてCMに起用してくださり臼井自身も出演という機会を頂き本当に感謝している。
さて、この曲の内容について話そう。
この曲は、「春紫苑」「if」などにも通ずる、臼井嗣人の詩世界としては王道的なラブソングだ。
自分の中の王道(ある種の十八番)であるという事は同時に、言い訳のできない直球勝負的な要素も含んでいる。
「幸せになるために こうして僕ら出逢った」
出だしのこの一節がまず生まれ
この曲は形になっていった。
「どうして自分が生まれて来たのか?」
この問いを今まで何度も自分に問いかけてきた。
考えても、考えても、明確な答えは今のところ出ないまま。
そして、今まで出会ってきた人、物、風景など
その全てに一体どんな意味があるのか。
それもやはりわからない。
只、その全てにおいて多かれ少なかれ心は動き
その出会い一つ一つによって自分の運命は確実に左右されている。
この世に生を受け、真っ先に親に出逢い、
その後、沢山の人に出逢い、好きな人、嫌いな人、何とも思わない人、、、、
そのすべてに意味があるのだとしたら、
どんな出会いであれ、自分にとって素晴らしいものであり、
「幸せ」という漠然としながらも、確かに感覚としてある’それ’に向かうために
与えられたものであって欲しいと願う。
ある意味、自分にとって理想的であり、完璧であり続ける相手などこの世にはいないと思っている。
現状自分の求めるものすべてを兼ね備えている人にもしも出会えたとしても、
その瞬間、理想は理想で無くなり、そこに新たな理想を求める。
家族、友人、自分に対しても何か一つは嫌なところはあるし、
時に喧嘩だってする。
ただ、その自分にとって不都合な相手の一部を愛おしく思えるか思えないかが
自分にとって大切な相手なのかそうではない相手なのかの境目だとも思っている。
その一部を愛おしく思えた時に、それまでの「理想」や「完璧」という概念を超える何かが生まれるのだと思う。
この「愛文-aibumi-」という楽曲はそんな想いを綴ったラブソングです。
あなたの大切な人を想いながら聴いてもらえたら嬉しいです。
愛文-aibumi-
幸せになるために こうして僕ら出逢った
それはまるで闇の中に優しく灯が点るように
何回でも何百回でもすれ違う度に僕は
どうやってもきみのことを嫌いになれないと思い知る
抱きしめたいのに理由なんて無いのに
僕らはいつでも理由を見つけて争ってしまう
飾らない想いをぶつけ合って 譲れないできみを泣かせた日
今も覚えているよ 胸につかえているよ
あの日きみが見せた寂しそうな顔
抱きしめたいのはきみの身体だけじゃなくて
その奥にある形なき愛の温もり
くだらないことで笑いあった日 背を向け合って心を閉ざした日
きみは覚えているかい? そのすべてが今の僕らを紡ぐ大切な日々
重ねた想いを今歌にして 飾らないできみに伝えよう
きみを愛している 永遠に守ってゆく
誰よりも近い場所で愛し続ける
幸せになるために こうして僕ら出逢った
つまずきながら 手を取り合いながら
今日もこれからもずっと 歩いてゆこう