3月11日
東日本大震災から4年。
あの瞬間、実家の庭に居た。
突然電柱がが大きく揺れ、電線は波打ち、近所から悲鳴が聞こえ、
自分の家が目の前で歪みながら揺れていた。
急いでテレビを点けると、そこには目を疑う光景が映し出されていた。
あの日からもう4年。
ご縁で岩手県へ歌いに行く機会を何度も頂く中で、
震災から8ヶ月後、沿岸地域に足を運ぶことができた。
テレビを通してそれなりに震災の被害を知ったつもりになっていた自分を恥じた。
そこに広がっていたのは、今まで自分が見てきたどの景色よりも衝撃的で、
そして、それを言い表すに適当な言葉の見つからないものだった。
震災から8ヶ月後の当時、
復興に携わる人の数がどんどん減ってきていて
ボランティアも震災直後に比べると少なくなり、
復興が思うように進まない現状があることを聞いた。
‘忘れられる’ということが恐いという声を聞いた。
何もできないもどかしさと、
何かしたいという想いで陸前高田を後にした。
その後も毎年岩手へ行かせていただく中で
ライブへお越し下さる方から沿岸地域の現状を教えていただくことも多く、
再び沿岸地域に足を運びたいと思っていた。
そして、昨年再び陸前高田へ行くことができた。
前回行った時には車が山積みになり、瓦礫が散乱していたあの場所が
見違えるほど綺麗になっていた。
中には当時のままの建物などもあったが、
お店が立ち並ぶエリアができていたりと、そこには確かに活気と希望があった。
たくさんの人で賑わい、着実に復興へ向けて前へ進んでいる光景に胸が熱くなった。
そして、もうひとつ行きたかった場所が僕にはあった。
最初に沿岸地域に行かせていただき、東京に戻ってから
「’忘れられる’ということが恐い」
という言葉がずっと頭から離れなかった。
僕自身が決して忘れないように。
そして、継続して何かをし続けたい。
そんな想いから微力ながら寄付をしようと思った。
いろいろと探す中で、震災により学校や塾を失ってしまった子供達に
勉強の場を提供するための寄付があることを知り、
現在も寄付を続けさせてもらっている。
毎月寄付をさせていただく中で、自分の寄付したお金がどのように使われているのかを
ちゃんと知ることも大切なのではないかと思うようになった。
「ただ形としてお金を払う」という行為は何か違うような気がして。
そんな想いから寄付先の方に連絡を取らせていただきお邪魔してきた。
あいにくこの日は日曜日だったので子供達は居なかったが
温もりのあるとても素敵な校舎で、そこで子供達が勉強や友達との時間を過ごしている姿を想像し、
なんだか幸せな気持ちになった。
そして、壁にこんな素敵な詩が。
この詩を前に、改めて同じ言葉を人に届ける者として、
気が引き締まりました。
すべてはこれからの僕らにかかっている。
震災により犠牲になられた方にご冥福をお祈りすると共に、
今この時もあの日に寄り添い歩み続けるすべての方に幸あれ。